コントが死んだ理由を勝手に考察してみる

コントが作れない。コントをやりたいのにテレビで放映できない。
そう嘆くテレビの業界人の言葉に引っかかりを覚えました。
テレビに従事する人間がよく口にするのは「視聴者の質が落ちた」や「視聴者がコントを我慢できない」など、すべての責任が受け取る側にあるかのような発言ばかり。
貴重な24時間のうち、さして興味のないCMを挟みながら放映されるテレビを見ている身としては腹が立ちませんか?
そこでコント凋落の原因と、コントを取り巻く現状を私なりに勝手な考察をしてみました。
あくまで一視聴者としての立場で発言しているので、軽い気持ちでお付き合いいただければと思います。
【執筆者】20代後半男性/山梨
そもそも「コント」ってなに?
出典:http://www.showanavi.jp/news/2008/07/840dvdbox.php
日本のお笑いの歴史はコントと共に歩んできました。
「8時だョ!全員集合」「夢で逢えたら」「ダウンタウンのごっつええ感じ」などお茶の間を笑いの渦に巻き込んだ名番組で、コントが主要コンテンツだったのは間違いありません。
コントはフランス語の「コンテ」を語源とした笑いの寸劇を指します。
寸劇ですからドラマのように1時間も同じストーリーを引っ張っるものではなく、起承転結を5〜10分程度にまとめる必要があります。
ものにもよりますが、松本人志さんの映画作品はコントの延長だと揶揄されることがあります。
しかし映画という媒体で提示している時点でコントとは本質が全く異なるのです。
松本人志さんは一流のコント師だとは思いますが、土俵を変えるなら戦術を変えるべきだったでしょう。私は好きですけど。
コントをさらに短かくすると、ショートコントと呼ばれるようになります。どちらかというと現在はこのショートコントが主流でしょう。
登場人物も少なく設定もコントよりざっくばらんで、テレビ人の言う「レベルの低い視聴者」には丁度いいかもしれません。
近年ではショートコントのコンテスト大会「キングオブコント」が盛り上がりを見せていますが、審査対象はショートコントなので「キングオブショートコント」に改名すべきだと訴えたいです。
コントを魅せる難しさ
コントといえば?
そう聞かれて思い浮かんだり、挙げられる番組は何種類も存在しません。
世代別に質問すればさらに偏りが生まれるはずです。
先に言っておくと私はコントを作れない原因のほとんどが制作サイドにあると思っています。
コント作りの難しさはわかっているつもりです。
ひな壇芸人を並べて勝手気ままに喋らせる今のバラエティ番組とは違い、コントは幾重にも計算し尽くされたロジックが必要となります。
トークで滑れば編集でカットしてしまえばいいところを、コントでは整合性を取るために内容全てを放送する必要があるのです。
企画段階で成功と失敗の明暗が分かれてしまいます。それは今も昔も変わらず、コントとは一部の成功者にしか許されない作品といっても過言ではありません。
ダウンタウン、とんねるず、ウッチャンナンチャンのコントが人気を極めていた同時期に対抗馬となるコント番組、もしくはコント芸人は存在していたでしょうか?
二匹目のドジョウや後継を目されるルーキーはいたかもしれませんが、どれも不発に終わっています。
コントでの成功は一部の才能あるヒーローに許された特権なのです。だからこそコントに価値があるのです。
今はどのチャンネルを回しても似たような内容ばかりで、ヒーローの登場を否定しているかのようです。
このままでは日本のお笑い文化は育ちません。コントは難しいと同時に、お笑いの才能を見極める定規でもあると言えます。
手軽なコンテンツに流れるプロ意識の低さ
web上で一般人がオモシロ動画をアップロードし話題にあがることが多くなってきました。手軽だし、無料だしメリット尽くしです。
とあるサイトではYOUTUBEなどで動画を投稿するなら再生時間は「1分半〜3分がベスト」であると見解しています。
その他各所でも同じような意見で合致していて、長くても5分が限界だそうです。
そのサイトではそれ以上の再生時間は視聴者が飽きてしまうから、という最もらしい論調で話がまとめられていますがちょっと待ってください。そんなのは当たり前じゃないですか。
素人が作った面白いかどうかもわからない動画に時間を割くほど現代人は暇じゃないんです。
最適な放送時間はコントでも適用されています。
ショートコントが盛り上がりを見せている原因の一つでしょう。
下手をしたら冗長になってしまい、途中で飽きられてしまう危険性のある通常のコントは分が悪いと言わざるをえません。
確かに人それぞれ笑いのツボは違いますし、結局オチまで見てもつまらなかったら時間泥棒だと憤慨する人もいるはずです。
テレビを制作する側は、企画段階から視聴者の反応や目線を想定し内容を吟味しています。コントに尻込みする気持ちもわかる気がします。
でもテレビ製作者は長年培ったノウハウを継承しているプロです。
まぐれ当たりで再生数を伸ばすユーチューバーとワケが違います。
こうやって比較することすら本来おかしな話なのです。
むしろコントのように難しいコンテンツで勝負に出て、天狗になっているアマチュアの鼻をへし折るくらいの気概と情熱を持つべきではないでしょうか。
web動画がテレビに取って代わる時代が来るかもしれない。
そう唱える人は双方の体質の違いを見ていないのです。
タチの悪いことに当事者たちも同じく混同して考えている節が見受けられます。
そうでなければwebで公開された動画を引用してテレビで放送するなんて恥ずかしい仕事できません。
悪循環が続くコント逆境の時代
特番として5年ほど前NHKで放送された「松本人志のコント」は計5回のうち、視聴率が3%に届くことが一度もありませんでした。
天才と呼ばれた男の才能の枯渇。
そう嘆く人が多く見受けられました。単純につまらない、難解で分かりづらい、という感想が多くを占めています。
しかし私は今でも松本人志さんがお笑い界のトップランナーであると思っています。
別に才能も枯渇していません。
なぜなら「松本人志のコント」は松本人志さんが積み上げてきた歴史であり、我々は単に見慣れてしまっただけにすぎないからです。
むしろ落胆すべきは松本人志さんの座を奪うほどの若手が、過去何年にもわたって登場していない現状でしょう。
いつまで頼っているんだ、と声を上げるテレビ関係者が出てきてもおかしくはないのです。
結局そうならないのは、簡単に作り上げて一定の数字が取れる楽なコンテンツに胡座をかいているからに他ありません。
松本人志さんは別格で、もうポストがない。そうやってコント離れを促進させてしまっているのです。
若手芸人がいつかコントでダウンタウンを脅かす、なんて考えに至るはずもありません。
環境を壊して、なおベテランに食い潰させているのですから。
出典:http://ameblo.jp/bz-125-norinori/entry-11019508712.html
テレビ離れしてもテレビ嫌いにはならない
いかがでしたでしょうか。
テレビでコントが作れない理由を私なりにまとめてみたのですが、多少なりとも共感していただけましたか。
少し極論過ぎたかもしれませんが、この記事がテレビ製作者の発奮材料になってほしいという願いから書いてしまいました。
私もテレビ離れが進む一人ですが、テレビを嫌いになるまでは至っていません。それが何を意味するか考えていただければ幸いです。
【執筆者】20代後半男性/山梨